おくりものがある暮らし 〜母の笑顔とひまわり〜
お店を歩いているとよく、これ欲しいなあというよりも、これ誰かにあげたいなあと思う感情の方が多いことに気づく。
私は誰かにおくりものする時間が好きだ。誰かが喜ぶ姿を見ることがとてつもなく幸せだから。大切な人を想える時間は、絶対誰にとっても幸せでしょ!って断言したいくらい。そういう時間を過ごしている時の自分が好きっていう自己満でもあるけれど。
そして、誰かのことを想って幸せそうにしている人の顔も私は大好きだ。そんな幸せが溢れた瞬間に、できることならずっと触れていたいと思う。
おくりものをする時、その人のことをじっと考える。今何を考えているのか、どんな時間が幸せなのか。
大げさと言われるかもしれないけれど、そのおくりものでその人の心や生活が少しでも豊かになったらいいなと思う。
先日は母の誕生日だった。あまり物欲のない母におくるプレゼントは、毎年悩みもの。
今年は富士山に一緒に登る約束をしていたけれど、コロナで行けなくなった。
誕生日のおくりものを考えていると、そういえば、あんまり最近母に連絡していなかったなあと思い出す。
コロナで外に出れない祖父母のことばかり気にしていたけど、そういえば相変わらず働きすぎの母は大丈夫なのかなと。そんな気づきもおくりものを考えるときの副産物。
そんなことを考えながら、ネットで探していると、あるお花屋さんを見つけた。
何気なく、開いて見ていると、ひまわりのフラワーアレンジメントが目に入って来た。
ひまわりを中心に色とりどりの花が添えられた花束。
色とりどりなのに、それぞれがばらばらなわけでもなく、とてもまとまっていて、ひとつの大きな花のようにも見える。
ひまわりから母の素敵な笑顔が思い出されて、母のたくさんの魅力がその周りの花たちにあらわれているようなきがした。
母をイメージして花束を作ってくださいって言ったら多分これになるだろうってくらい母にぴったりの花だった。
すぐに注文ボタンを押した。
そうやって選んだことは恥ずかしくて言わないけれど、お花を渡して嬉しそうに写真をパシャパシャと撮る母を見ると余計に私も嬉しくて幸せな気持ちになる。
「可愛いね、可愛いね。」と言いながら他愛もない話をしていたけれど、忙しい母にとって、そんな小さな瞬間が幸せだと感じてくれたら、キッチンに飾られたお花を見てその他愛もないゆっくりとした時間を思い出してホッとした気持ちになってくれたら、そんな嬉しいことはない。